タイトル元:博士の異常な愛情
トニカクカワイイの語る作品への理解
トニカクカワイイ5話で司ちゃんが映画を語っていたセリフを一部抜粋
『作品をより深く楽しもうとするなら、そこに至るまでの監督の仕事をチェックするのもハズせない(中略)制作者の心情や歴史を踏まえ立体的に見ることによってより面白さが増すのよ だから過去作チェックを決して侮っちゃダメ そこには真実を探求するかの如く永遠と知識の地平が広がっているんだから!分かる?』
作者の意見をキャラクターに言わせるかの如くセリフでしたね。
でも、凄い分かるんです。
作品の背景や元ネタ
映画やアニメを見るときに、その作品の元ネタ(オマージュ)や過去作なんかを知っておくとより作品が楽しめると思っている。
もちろん、作品単体で楽しめることが前提の上ではあるがそれを知っているか知らないかでより作品に対しての理解や面白さが増す
そんなことを最近すごい感じた出来事があったので少し語りたい。
映画『グラン・トリノ』を見て感じたこと
グラン・トリノは、クリント・イーストウッドがこの映画を最後に俳優業を引退することを表明した作品(後に撤回)
元軍人の頑固な爺さんが息子達から疎まれていく中、隣に越してきたアジア系民族の一家と最初は疎んでいたが次第に仲良くなっていく。
その一家がギャングに襲われたことで、報復をしにいくイーストウッド、
その結末や如何にみたいな内容
元軍人な頑固な爺さんというのが、イーストウッドが過去に演じてきた役柄たちを思い出させる。
ドル箱三部作やダーティーハリーなどガンマンを演じることが多かったイーストウッド
また、続・夕日のガンマンは南北戦争が舞台で開拓時代を描いている作品だ。
銃に精通し、アクションをこなし、アメリカの歴史を辿ってきたイーストウッドの作品たち
その果てに、グラン・トリノの中でアメリカの現状を憂う頑固な爺さんが出来上がってくる。
歳を取り体も動かなくなる。
古き良きアメリカを思いながら、移民を疎む。
その中で最後のシーンで魅せるイーストウッドの辿った歴史の結末というのがグラン・トリノによって描かれているんじゃないかと思う。
結末のもの悲しさは、作品単体で見て感じるだけではなくイーストウッドのこれまでを考えながら見ることによってより一層深みがでるだろう。
『沙耶の唄』で感じたこと
大好きなエロゲの沙耶の唄
交通事故にあった主人公が、知覚障害を患いすべてのものが異形の物に見えてしまう。
そんな中で、唯一人の形をした少女と出会い惹かれていく。
エロゲを、虚淵を代表とする名作だろう。
そんな沙耶の唄だが明確な元ネタがあって(作中でも匂わせている)
手塚治虫の『火の鳥』復活編
そして、クトゥルフ神話である。
この作品は純愛作品として名高いし、私自身も純愛ものとして見ていて沙耶ちゃん本当にかわいいよとなっていたが、虚淵自身は沙耶の人気が出るとは思っていなかったようだ。
上述した通り、元ネタが存在していて元ネタを知っていれば純愛としてではなく『あぁ、こういうパターンの話か』と言った形で作品を取ってくれると思っていたらしい。
詳しいことは以下の動画を参照したいただきたい。
元ネタを知っているかいないかで、視点が切り替わる。
ついては、作品の理解もまた変わってくるのだろう。
一つ疑問が残るのは、元ネタを知っていたとして美少女が出てきたらかわいいと思うし恋愛的な要素を含んでいるんだから純愛として見るのではないとは思う。
病院エンドなんかは特に顕著ですしね。
たりないちしき
若林派としては、たりないふたりも薦めておきたいよね。
虚淵曰、エロゲーをやるような18歳以上だとある程度のB級ホラー知識やカーペンター映画を見たりとかしてるんじゃねとのことでした。
どれもわかりませんでした。
B級ホラーってチャッキー君とか死霊のはらわたとかかな。
映画好きでもあんまり好んで見ない気がするけどどうでしょうか。
映画にしてもアニメを見ていても、まだまだ知識が不足しているなと感じています。
作品を楽しむ上で要求される知識って本当に広く深いもので楽しいやらつらいやら
それでも司ちゃんが言うとおり、そこには真実を探求するかの如く永遠と知識の地平が広がっているんだから
その知識の探求と探訪を止めるんじゃねぇぞ…。
その先に司はいるぞ!
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