スタートゥインクルは忘れた、HUGっとしてから君を思う

タイトル元: 雨の日は会えない、晴れた日は君を想う

HUGっとプリキュアを改めて見始めた

過去の自分のTwitterやら配信を確認したら、初めてみたのが2019年10月ごろだった。
確か東映のネット配信で全話公開されたのがこの辺りだったんじゃないのかな
後にNetflixで全話きて泣くことになるのは、別の話

そんなHUGっとプリキュアは、自分の中でもかなり好きな部類に入るプリキュアで愛着もある。
ここ最近、少し重厚なアニメばかり見ていた(イデオン、ボトムズ)せいもあり、
癒しを求めていた中で改めて見直したいと思っていたため、改めて視聴を開始した。
Netflixさん、本当にありがとう。

今回は、HUGっとプリキュア、そして最新作のヒーリングっどプリキュアにハマりつつも何故かスター☆トゥインクルプリキュアにはまることができなかった。
それは一体何故なんだろうというのを、少し考えてみることにした。

応援をしてくれる存在

HUGっとプリキュアのテーマは子育て、そして子育てをしながら頑張るお母さんを応援することである。
主人公・野乃はなが赤ちゃん(はぐたん)のお世話をしながらプリキュア(キュアエール)として戦い、成長していく物語である。

この、応援というのがミソだ
野乃はなは何者かになりたい、でもなれずにいる。それでも他人のために応援をすることで人を支えていく。
大人なお姉さんに憧れ、なりたいと願う野乃はなの成長に関しては是非とも本編を見て、野乃はなという存在を好きになっていただきたい。

物語の中で、他人を応援することによって応援された側が一歩踏み出し成長していく。
この一連のテンプレートが素晴らしかったんじゃないかと思った。

大人になってみて、社会に出てから気付く人から褒められることや応援されることがないことに。
日々働き、生活をしていく中で疲労し輝く未来なんて見ることができなくなってくることがある。
クライアスしか見えなくなってきて、もうオシマイダーという気持ちになる。
そんな状態になっても、癒してくれる人や応援してくれる人がいればまた違うのではないだろうか。

HUGっとプリキュアは現代の疲労した大人にとって、必要である心の支えみたいなものを持っていた。
だからこそ、大人が見ても刺さるような作品になったのではないかと感じた。

生きることについて

ヒーリングっどについても少し考えてみる。

ヒーリングっどのテーマは「生きる」、「絆」、「思いやり」
奇しくも、放送中にコロナが流行し世界中が病気に蝕まれることになる。

現実世界で病気に怯え、苦しむことになった結果として、
その病原菌と戦う姿に感情移入するのは当然のこととなる。

また、主人公である花寺のどかは過去に病気で入院している過去を持つ。
そんな彼女が病気に打ち勝ち、プリキュア(キュアグレース)としてその病気達と戦う姿に心を惹かれていく。

コロナという存在がなかったとしても、病気というのは身近なものであり大なり小なり何かしらの病気によって苦しんだことがあるだろう。
そんな病気と立ち向かい生きていくことの大事さ、そしてどんな状態になっても他人を思いやることの尊さ、それがヒーリングっどプリキュアには詰まっている。

多様性を求められる世界について

ここでようやく本題のスタートゥインクルの話に入ることができる。

スタートゥインクルは宇宙をモチーフにして、価値観の違いや多様性といったものがテーマになる。

昨今、LGBTや人種問題、性差別など多様な問題がある。
一人ひとり違う存在であることから軋轢が生まれるのは生活していく中で実感することではある。

ではなぜ、このテーマを題材にしたスタートゥインクルがイマイチ刺さらなかったのであろうか。
それは、私自身が単純にそういった問題に興味ないからだ。
それでは元も子もないので、適当に言い訳を続ける。

そもそもが、価値観の違う存在を受け入れ仲良くするなんてことは過去のプリキュアシリーズでも通過してきた道ではないだろうか。
敵幹部であったキャラクターが仲間になったり、敵である相手と対話をしたり、異世界の住人と交流は行われてきた。
そこに来て、異文化・異種族との交流を中心に描かれたところで新鮮味もないだろう。

価値観の違いについて論ずるのもまたセンシティブな問題であり難しいところだ。
ただ、マイノリティしてもマジョリティにしても自身の所属している場所によって意見なんてものは変わるであろうし、他者を受け入れることを許容するのであれば他者を否定する存在もまた許容することが本来の多様性の姿ではないだろうか。
他者を受け入れることを是とするスタートゥインクルに対して、多様性といったものに正解を見つけることができず、故に心に刺さる解決策なんてものも見えてこなかった。

結局のところ、スタートゥインクルの掲げる多様性という大層な問題は古くから扱われてきた異文化交流の域を出ることもなく現代に対するメッセージとしては弱いものとして終わったのである。

この辺りの他者との共存を深く描いた名作があるんです「抜きゲーみたいな島に住んでる貧乳(わたし)はどうすりゃいいですか?」って言うんですけど
割と真面目によくできてるんですよね。
所属しているグループによって意識の違いや大切なものが変化していったり、意見の違う相手との共存の果てにあるものが結局分離であったりするんですよ。
分かりあうことの先は、結局共存という名の分離した生き方なのは本当にその通りなのかなと思います。

結局のところ何が言いたいか

HUGっとプリキュアを見て改めて思ったことがあるんですが、薬師寺さあやちゃんが本当にかわいいんです。
それが言いたいだけだったんです。

スタートゥインクルも変身シーンとか最終回とかいいところもそれなりにあったと思います。

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